第35回 神仏セッションを終えて

時宗今井山 正福寺(青梅市)  住職 飯田 彰

 

「しきたり」

 

 今回は「しきたり」というものをテーマに据えさせて頂きました。

 

「しきたり」の中には、現代の合理主義的風潮から見れば一見不合理に見えるものや無駄に思えるものも含まれますが、それらは共同体の歴史や文化と切っても切れないものであること、「意味」を超えて「共同体をつなぎまとめる機能」や「集団的信仰の表出」という側面があることなどを再確認させて頂きました。

 

セッションの話題はあちこちに飛びつつ若干脈絡を欠くきらいもありましたが、寛容にもそれぞれの尊い知見にもとづいてお話し下さった宗教者各位に心より感謝申し上げます。

 

正福寺住職 飯田 彰


第34回 神仏セッションを終えて

真言宗智山派 観音寺(飯能市)  住職 服部 融亮

 

~タイミング~(啐啄同機ソッタクドウキ)

 

  今回の「神仏セッション」は『タイミング/啐啄同機/そったくどうき』をテーマに行いました。前半は「タイミング」。後半は「啐啄同機」を分けてそれぞれお話をしていただきました。

 前半のタイミングでは、メンバーそれぞれが人生での大きな出来事があったタイミングをお話ししていただきました。

 後半の「啐啄同機」とは、卵が孵化する時、卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といい、両方が一致して雛が生まれる「機を得て両者相応じる得難い好機」のことが「啐啄同機」。これについても、それぞれが啐啄のタイミングについてお話しいただきました。

なかなか伝えにくいテーマかと思いましたが、メンバーの豊富な経験の中からお話し頂きました。

 ご視聴頂いた皆様。ありがとうございました。

                                                合掌  2021/7/29


第33回 神仏セッションを終えて

カトリック上福岡教会 神父 加藤 智

 

「祈り」〜見えない存在とともに〜

 

 仏教、神道、キリスト教の聖職者方による、トークセッション。第33回は、「祈り」をテーマに開催されました。祈りは、見えない神仏との出会いとして体験されるものです。それは、優れて個人的体験でもあると同時に、多くの場合、各宗教宗派の長く深い伝統によって美しく整えられた様式に支えられてもいます。私たちは、無意識のうちに、長く深く美しい伝統の内に祈っているということでしょうか。そこに、祈りの体験の、個人を越えた確かさというものもあるように思います。私たちは、神仏に祈ると言います。しかし、私たちに祈りを可能としてくださる存在こそ神仏であることに気付かせていただく。祈りは、必然的に、神仏の存在の確かさへの感謝です。合掌。 2021/7/20


第32回 神仏セッションを終えて

高麗神社(日高市) 宮司 高麗文康

32回神仏セッションを終えて

 

相変わらず続くコロナ禍の中で、今回もユーチューブ配信を主とした開催となりました。そうした中でもご参加いただいた聴講の皆様、本当にありがとうございました。真摯なご感想にメンバーは皆励まされております。

 さて、今回は「お知恵拝借‼」~僧侶 神父 神主さんのよろず相談室~ と題して、聴衆の皆様からのご相談に、私たち花と音楽の集いのメンバーがお答えする企画を考えました。このような形式は初めてでありましたので、どのようなご相談が寄せられるか(高麗が)戦々恐々としていたことは否定できません(笑)。お寄せいただいたご相談を拝見し、メンバーはそれぞれの立場で考え、お答えする言葉を探し、お互いに示し合いました。時間の都合もあり、一つ一つのご相談に全員がお答えすることはできませんので、内容的に相似するご相談はある程度まとめさせていただき、メンバーの内2~3名がお話する様に進めさせていただいた次第です。因みに実際のセッションで示されたメンバーの答えは、事前に収集したものと、ほぼ違うものでした(笑)。それでもお聴きしながら、思わず頷かされる言葉がちりばめられていて、一宗教者として楽しくもあり、一司会者としてどうまとめようかと悩ましくもありました。

 ご聴講の皆様から寄せられた感想を拝見すると、司会者がまとめるのに苦労していた内容をよく理解された上で日常に生かす努力もしていただき、大変感動しました。聴講者が、私達の話を心の糧にしていただいていることに宗教者としての喜びを感じています。こうした皆様の反応を、私達の心の糧にし、次回以降も頑張って参ります。 2021/3/17


第31回 神仏セッションを終えて

カトリック上福岡教会 司祭 加藤 智

「一期一会=最期の晩餐」-ミサ=カトリックの祈り

 

カトリックの「祈り」は、ギリシャ語でテオリア(ラテン語でビジオ・デイ)。日本語では「見神」と訳されますが、仏教の「仏眼所照」と同じく「神の眼差し」の意味で、「神の眼差しの内においていただくこと」「神に見つめていただくこと」です。神の眼差しの内に自分を見出し、神を自分の居場所とさせていただくこと。それが、カトリックの「祈り」です。その祈りのかたちがミサです。ミサは、キリストと弟子たちの「最期の晩餐」を典礼(儀式)的に再現し、それをわたしたちが典礼的に再体験することです。「最期の晩餐」といいます。わたしたちが祈りによって招かれる神の内なる居場所は、キリストに招かれる晩餐の食卓だからです。その晩餐の食卓にキリストが整え、わたしたちにくださるものは、キリストの「からだと血」、わたしたち日本人の言い方では、キリストの「心とからだ」、つまりキリストのいのちそのものです。キリストは、居場所を失っているようなわたしたちに、最も安心して、また喜んでそこに在ることができる居場所、すなわち「晩餐の食卓」を、ご自分を十字架で犠牲にされるまでして、つまり文字通りご自身のいのちをかけて用意してくださいました。だから、「最期」の晩餐。わたしたちにとっては、ちょうど茶事のように、「一期一会」の食卓です。その食卓に与る。それが、カトリックのミサであり、祈りです。 合掌。



第28回 神仏セッションを終えて

高麗神社宮司 高麗文康

 新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け3月開催を見送り、6月の開催としたものの状況は未だ予断を許さず、様々な皆さんの力をお借りしてZoomでの開催に踏み切りました。お陰様で当初、不安であった操作の不手際やシステム上の不具合はほぼ問題なく終える事ができたようです。それでも、一部音声が途切れるなどしてお聴き苦しい点があったと承知しています。この点に関しましてはお詫びいたします。

 恒例のトークセッションの前に、新しくメンバーとなっていただいたカトリック上福岡教会司祭ヨハネ加藤智神父から「精神の東洋を求めて~カトリックのギリシャと神道と大乗仏教の日本を一つに結ぶもの」と題した講演をいただきました。約30分の短い講演でしたが、内容は大変充実したものでした。講演の中で加藤神父がのべていた東洋の精神性のお話は、日本人を励ますと共に、日本の宗教者の覚醒を促すものに感じられました。

 そして、神仏セッションのテーマは「御縁について~神仏とのご縁の結び方~」でした。日頃顔を合わせている者同士とは言え、お互い「御縁」についてどんな考え方を持っているのか、理解しているわけではありません。司会をしながら、メンバーがどんな「御縁」を積み重ねてきたのか、とても興味がありました。ひとりひとり、お話を聞いてみると、やはり5人5様(高麗も含めれば6人6様)の人生行路が明らかになりました。しかし、そうした中でも共通していたのは、皆が神様や仏様といった至高の存在に「捕縛(表現過激で失礼)」されたものであった、と言うことでした。加藤神父の講演にもありましたが、「神仏の御縁は、神仏からいただいたもの」で我々宗教者は結局「御縁をいただいた至高の存在にお仕えしている」だけなのです。

 それでは宗教者ではない皆様は如何に神仏とご縁を結べるのか、正福寺飯田住職から「寺社から頒けられる札を受ける」こともその方法の一つとのお話がありました。もっとも、ご縁が神仏から我々にいただくものであれば、受けた札は神仏とご縁がある証明かもしれません。

これまで、各会場で毎回のようにお顔を合わせていた皆様の中には、新しいシステムでの開催にご参加いただけない方もたくさんいらっしゃったと思います。状況が許せば、必ず皆様とお顔合わせできる機会を作りたいと思います。もちろん、今回初めてご参加いただいた皆様とも、直接お目にかかりたいですね。皆様、その時までお元気で!